清朝中後期における政書官刻の経費問題 清朝中期ともなると政書が恒常的に官刻されるようになり、その経費の捻出が問題となる。清初から恒常的に官刻されてきたものには、時憲書(ただし子部書)、賦役全書などがあるが、中期以降、律例、各種則例なと様々な政書が恒常的に出版される。 それらの経費について、清後期に出現した各種の交代秘本(財務引継ぎマニュアル)をみると、時憲書や賦役全書などが、留支項下や年例攤捐〓目といったわりと財源の安定した項目から支出されているのに対し、それ以外の政書は、雑項捐〓や攤〓という寄付、強制割り当てによる不安定な項目から支出されていることがわかり、清朝が出版経費の捻出に苦しんでいたことが判明する。観点を変えれば官僚は、経費の負担を拒否したり、サボタージュしたりしていた。そのため、これら恒常的に出版される書と違い、不時に出版される政書については、さらに経費の捻出が難しくなっていたのであった。 これらについては、(1)同意取り付けによる出版、(2)上司の命令による出版の二通りのやり方がある。前者の実例は、『名法指掌新纂』4巻(黄魯渓撰、邵縄清輯訂、道光10年刊)で四川省官僚の総意での出版という形をとる。後者の実例は、『重修名法指掌図』4巻(徐〓撰、同治8年桂林節署刊)で、広西巡撫が知府に編纂を命したものである。 このように清朝は、出版経費の捻出に苦しんではいたが、明朝と比べるならば官刻出版は圧倒的に盛んであった。今後は、清朝がなぜそこまでして出版したのか、政策意図の観点から研究する必要がある。
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