本研究では、現存するベトナムにおける版画を中心とする木版文化の現状を民族学的な方法で現地調査し、その資料を整理中である。もともと、ベトナムの木版印刷文化のあり方は、中国のそれとよく似ており、中国と同様、民間の刻本と宮廷内で制作された「殿版」の系統をひく木版印刷が現存する。木版による出版物の多くは、今日でも、宗教儀礼、民間信仰などの対象として、民衆のなかでつかわれてきている。もっとも、従来漢字や、チュノムでもって、表記されていたもののおおくには、今日ではコクグーが併記、あるいは、コクグーのみによる表記がなされるような形にかわりつつある。本研究では、版画に焦点をあてながら、木版文化の研究調査をおこなった。民俗的な版画はハノイの郊外にあるドンホー村で数家族によって伝承されている。その内容は民間信仰、年間儀礼、人生観、世界観などと密接にむすびついたもので、ベトナムの文化を理解するうえで、たいそう重要なものである。この版画はずっと民衆に愛用されてきた。ベトナムが外部の観光客などをうけいれはじめられてからは、観光収入などのために、その作風に変化がみられるようになってきたので、緊急調査おこなった。ドンホー村には、昔からの版木が多数存在するし、あたらしい版木も制作されている。このような動きは注目すべきである。ドンホー村で版画製作をする家族を訪問し確認してあるのだけれども、この家族に所有されている版木や版画は相当の量になる。まず、最初の手続きとして、網羅的なドンホー版画のインヴェントリーをつくりあげつつあ。それぞれの版画のモチーフにしたがい、時代的変遷の過程をしらべた。版画制作には、道具を必要とする。この研究では、道具類の物質文化、製版、印刷技法などの調査、版画のモチーフに関する聞き取り調査をおこなった。あわせて、版画が制作されている環境をしらべるために、ドンホー村の村落調査、版画を制作する家族をしらべた。民俗版画も、殿版も、いままでのところ系統だった学問的な研究は不足している。本研究はベトナムにおける木版印刷文化の全体像を構築するための一歩をなすものと位置づける。
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