新聞を中心として、調査を行った。特に近代的新聞が整備され始めた1900年代を調査対象として着手した。これには新聞が現在のものに近い近代的な商業新聞へ変わる時期にあたり、新聞が政治的に自立しはじめた時期でもある。特に近代化として都市基盤の充実や、都市民の構成が変化した時期が、新聞や出版物の増加する時期と重なり出版物による情報が産業革命にも大きな影響を与えている。これらは地方にも及び産業革命前後から多くの出版物とともに、印刷機も各地に出回るようになり地方紙の発行も盛んになった。また、安価な出版印刷方法が開発されたことによって、役所では多くの公文書が複写されるようになり、初めて印刷が庶民へも拡がるようになった。特に1900年前後に町村の学校では、学生、教員が中心となり地域住民の社会調査や、歴史、民話、伝説の収集を行い、活版印刷、ガリ版印刷、こんにゃく版などの多種多様な印刷方法が採用され郷土誌が発行された。このような郷土誌の編集によって、初めて印刷出版を身近なものに変えていくことができたのではないかと考えられる。これらは、日清・日露戦後の国威発揚などといった側面もあり、政策的に作成された面もあろうが、郷土における学校教育での調査は非常に現実的な側面を持って作成されている。こうした出版物はどの地域でも作成されたにも関わらず、学校の統廃合による廃棄や保管場所の不備などにより、これらが散逸し残されているとはことはまれである。しかしながら宮崎、鹿児島地域には比較的多くの郷土史料が残されている。だが、これらの出版物も大正デモクラシーが終わる前後から、国威発揚などの国家的要素が加えられ神話中心の記述となり次第に消長した。今後もこれらを参考にしながら新聞との比較記事や伝承の変化について追跡調査及び比較検討を実施し、印刷方法などにも検討を加えていきたい。
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