平成13年度から14年度の研究の中で、伝承の近代的な変化とその要因について、印刷文化の中にこれを求め、印刷に伴う新しい印刷技術と洋紙の普及が、欠かせなかったことを新聞資料から「新聞と洋紙の近代史」(『にわたずみ(東アジアの出版文化の研究)』)などで明らかにさせた。また、宮崎県を中心とする地方新聞に焦点をあて「宮崎県における商業新聞の社会経済史的研究」(『元興寺文化財研究 No.81』)として、明治34年に宮崎県で創刊した『日州濁立新聞』について、新たな知見とその分析を行った。大量の広告と投書は新聞に活況をもたらした。そこで新聞社とその印刷会社の存立基盤に付いて企業者を中心として述べ、新聞社の社会基盤とその現状について調査報告した。年度末報告書においては、「近代における公文印刷と新聞研究-宮崎県における公文登載に関する道府県資料」として、これまでの研究成果を基に、新たな資料発掘を行い、新聞印刷に関する政策的な側面について、公布式を中心に史料分析を行った。これまでの調査では、地方における新聞社と印刷業の関わりについての資料が数多く見いだされた。重要な点を簡略すると、従来は、都心部での印刷に関しては新聞紙条例の影響により、新聞社と印刷会社への連座制を恐れて、分離することにより印刷会社は工場の操業停止を回避していたことが指摘されるが、地方新聞社では明治20年から30年において公文印刷の大半を新聞社で請負っている実態(公報発行ではなくそのまま新聞に掲載させる契約書も多く)が数多く見受けられた。また、新聞社(≒印刷会社)は、公文印刷による収入によって、経営が成り立っている実態があり、出版停止になった場合でも印刷を許可するような、条例の例外規定を設けている地域まであった。これらのことにより、新聞は地方文化において非常に大きな情報伝達を担っていただけではなく、印刷業として地方文化の一端を担いながら、地方官庁の擁護を受けていたことが指摘できるが、投書欄に見受けられるような批判精神の醸成も指摘でき、印刷文化が次第に庶民に広がりつつある状況が理解できる。このように数多くの成果が得られたが、今後は、これらの検証を含めて伝承文化への影響について新聞及び公文を中心として印刷業を全国的に検討分析する必要性があると考えている。
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