18世紀〜19世紀後半のイギリスにおけるピクチャレスク趣味・旅行記・ゴシック小説の流行の中で、読者/消費者としてだけでなく作者/生産者として両義的な仕方で「美学」の言語(「美的言説」)を自分のものとし内面化していった女性たちの著述活動について考察し、そこに共通する特徴を読み解く作業を進めた。通例女性は「美的対象」として眺められる側に位置づけられていたが、彼女らが書き手として「美的主体」(眺める主体)という立場をとるときに感じた奇妙な違和感は、例えば自然風景や異国の光景をフレームに収めて描写(記述)ようとする際の逸脱的な言説として表れる。彼女らによる美的言説のまさにこの<逸脱性>を通して逆に、美の「自律性」や「無関心牲」を主張する近代美学を暗黙のうちに支えていた政治的・社会的論理が、階級・人種・ジェンダー等の複合的な視点から見えてくることが明らかになった。 研究代表者は、ロンドン大英図書館での資料調査等を通じて当時の関連諸資料(旅行記、啓蒙書、雑誌のリプリント版等)を多岐に亙り調査・比較検討した。その成果の一部として個別テーマについて行った口頭発表は以下の通り。平成13年7月8日日本シェリング協会第10回大会(立命館大学)「倒立した崇高とその怪物性」、同8月31日第15回国際美学会(神田外国語大学)'Subversive Sublime and Its Monstrosity : Rereading Mary Shelley's "Frankenstein"'、平成14年8月1日第4回ジェンダー研究会(神戸大学)「<風景>としてのフランス革命-革命の文化記号学、そのイギリス・ヴァージョン」、同10月12日美学会第53回全国大会ワークショップ「ジェンダー/セクシュアリティ」のコーディネーター、同12月22日広島大学美学研究フォーラム講演「近代社会の美的言説・コロニアリズム・ジェンダー-スコットランド女性の見た西インド諸島」。 以上に関しては別冊「成果報告書」にまとめた。
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