研究課題
基盤研究(B)
本研究は、ドイツ在住のシーボルトの末裔フォン ブランデンシュタイン=ツェッペリン家に所蔵されているシーボルト関係文書から主要な書簡を整理、抽出し解読、翻刻、翻訳をおこない、文政期に来日し、日本の西洋医学界に多大な影響を与え、またヨーロッパで科学的な調査に基づき日本の自然、社会文化などを紹介したフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトの日本における具体的な活動を書簡解読によって明らかにすることにあった。本研究では1822年から1825年までの書簡54通を抽出し翻刻を終えた。その内37通は『長崎市シーボルト記念館 鳴滝紀要』に翻刻、翻訳、解説を発表した。解読作業の過程でシーボルトは当初博物学に基づく実証研究と個人の経済的な理由からオランダ領東インドで医療の傍ら自然史研究を行おうと計画しており、ヴュルツブルク在住の時分から日本で研究することを計画していたわけではなかったことが判明した。また、シーボルトは高名な医学者であった祖父や叔父などの築いた知識人ネットワークを活用し日本滞在を実現したことも判明した。これに関連して、シーボルトがフィリーメイソンのメンバーであることがわかり、オランダ領インド勤務中にフリーメイソンの人間関係がどう作用したか今後の研究課題の一つが明確になった。また故郷の家族に宛てた書簡中にはシーボルトが来日する際の私的な荷物のリストが含まれ、また書簡の記述からカンバン貿易用の輸入品についても具体的に記されていることから、1820年代の出島オランダ商館員の私的貿易の実態が明らかになった。本研究ではシーボルトが国外退去処分になり離日した1830年までの書簡を解読、翻刻、翻訳する計画であったが対象史料を文書群から抽出する作業が大変困難なことや解読に時間を要することなどから1826年から1830年までの書簡の整理が完全に終了していない。今後新たな財政支援を得て解読研究を完成し書簡集として刊行する予定である。
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長崎市シーボルト記念館 鳴滝紀要 15
ページ: 37-74
a journal of Siebold Memorial Museum "Narutaki kiyo" No 15
長崎市シーボルト記念館 鳴滝紀要 14
ページ: 13-52
a journal of Siebold Memorial Museum "Narutaki kiyo" No 14
長崎市シーボルト記念館 鳴滝紀要 13
ページ: 69-126
a journal of Siebold Memorial Museum "Narutaki kiyo" No 13
長崎市シーボルト記念館 鳴滝紀要 12
ページ: 30-100
a journal of Siebold Memorial Museum "Narutaki kiyo" No 12
長崎市シーボルト記念館 鳴滝紀要 11
ページ: 29-70
a journal of Siebold Memorial Museum "Narutaki kiyo" No 11