研究概要 |
今年度はメンバー10人全員が海外で発表や調査を行なうという目覚ましい活動を見せた.特に2002年9月にベルリンで開催されたドイツ・トゥルファン探検隊百周年記念学会には8人が参加し,その全員が英語で発表して,いずれも高い評価を得た.この分野において日本の中央アジア学界が占める地位を,改めて世界にアピールすることが出来たと自負している.以下に,それらの発表の内容を要約する. 森安は,古ウイグル文世俗文書に現れる貨幣としての棉布・官布と銀について調査した結果,西ウイグル王国時代の10・11世紀には主に官布と呼ばれる棉布と単なる棉布が使用されていたが,モンゴル時代になると単なる棉布もあるが,とりわけ銀が顕著になること,そしてそれはユーラシア全体の銀動向とも密接に関連することを明らかにした.坂本は,大谷探検隊収集の三日月文錦について,クーフィ文字銘文と織り技術の観点から,またドイツ隊収集の綿ベルベットについては,ウイグル文書・アラビア語史料から,共に西方よりトルファンに到来したことを証明し,綿ベルベットの漢籍史料上の名称を検討した.百濟は,チベット語大蔵経中に『栴檀仏像中国渡来記』という表題をもち,「癸猪の年の2月13日に,Amchangが中国語からウイグル語に訳し,Danasiがウイグル語からチベット語に訳した」という奥書を持つテキストの由来を探り,それがウイグル人の安蔵とDhanyasenaに関わり,1263年に翻訳されたことを明らかにした.武内は,敦煌出土のチベット支配期以降のチベット語文書の同定を通して,それらの大半が非チベット人によって国際外交,地方漢人間のコミュニケーション,仏典書写など様々な目的で書かれたこと,その背景としてチベット語が多言語社会である河西において最も普及した第2言語でリンガフランカであった事情を述べた.荒川は,トゥルファン・アスターナ古墳群出土の葬礼文書(随葬衣物疏・功徳疏)の分析を通じて,トゥルファン漢人の冥界観の時代的変遷を明らかにした.すなわちトゥルファンでは,4世紀の高昌郡時代には仏教が流入していたにもかかわらず,6世紀の麹氏高昌国時代になって漸く漢人の伝統的な儒教・道教と仏教とが混合した冥界観が現れ,それが7世紀の唐西州時代になると浄土を希求する仏教の冥界観に移行したという.吉田は,中国人がソグド民族の祖先と見なしていた「昭武」という姓の来源に迫る発表を行なった.松川は,ユーラシアに広く普及した中国起源の偽経『仏説北斗七星延命経』のモンゴル語版に生き続けているウイグル的要素を扱い,この経典がウイグル語からモンゴル語に翻訳されたという証拠を示した.松井は,モンゴル時代東トルキスタンの度量衡が中国・イランと単一の体系に収斂することを中央アジア出土文献の分析から解明し,当該時期のシルクロード東西交易の活発化を跡づけた.以上8人はベルリン以外にも足を延ばし,一方,白須・蓮池は中国で調査ないし中国語での発表を行った.
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