研究課題/領域番号 |
13410115
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研究機関 | 大阪大学 |
研究代表者 |
福永 伸哉 大阪大学, 文学研究科, 助教授 (50189958)
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研究分担者 |
北條 芳隆 徳島大学, 総合科学部, 助教授 (10243693)
清家 章 大阪大学, 文学研究科, 助手 (40303995)
都出 比呂志 大阪大学, 文学研究科, 教授 (90025065)
杉井 健 熊本大学, 文学部, 助教授 (90263178)
松木 武彦 岡山大学, 文学部, 助教授 (50238995)
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キーワード | 前方後円墳 / 古墳時代 / 首長墓 / 勝福寺古墳(ショウフクジコフン) |
研究概要 |
前方後円墳が消滅に至る過程を、西日本の広い範囲で比較し、前方後円墳消滅過程の地域差を検討することによって、前方後円墳消滅の意味を再検討するという研究の目的に添って、3年計画の第1年目となる本年度は、古墳時代後期の前方後円墳の資料収集、畿内の後期古墳の発掘調査、前方後円墳消滅過程を討議する研究会の開催という、3つの作業を中心的に行った。 資料収集については、近畿・畿内北部(福永、都出、清家)、近畿・畿内南部(清野)、中国(松木)、四国(北條)、九州(杉井)という地域分担で、後期古墳の築造状況、墳丘、副葬品、首長系譜の動向に見られる特徴などを整理しつつある。 フィールド調査としては、7月〜8月にかけて兵庫県川西市勝福寺古墳の発掘調査を実施し、従来5世紀〜6世紀の2基の円墳が連接したものと理解されてきたこの古墳が、6世紀初頭の墳丘長40mの前方後円墳であることを明らかにした。まさに、西摂平野地域(大阪府北西部〜兵庫県南東部)の最後の前方後円墳をあらたに発見したわけであり、本研究の目的にかなう発掘調査成果を上げることができた。その後の出土資料の分析などをつうじて、勝福寺古墳が西摂平野の4〜5世紀の首長墳系譜とは異なる新たな勢力の古墳として登場していることが考えられるようになり、この地域最後の前方後円墳が、6世紀初頭の継体大王の登場と密接に関連しているという見通しを得るに至った。こうした成果をもとに、2月23日に本科研のメンバーを中心に研究会を開催し、畿内北部の6世紀の前方後円墳の築造背景や被葬者像に関する討論を行ったほか、次年度の課題について意見交換を行った。
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