研究課題/領域番号 |
13410118
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研究機関 | 九州大学 |
研究代表者 |
宮本 一夫 九州大学, 大学院・人文科学研究院, 教授 (60174207)
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研究分担者 |
中橋 孝博 九州大学, 大学院・比較社会文化研究院, 教授 (20108723)
岩永 省三 九州大学, 総合研究博物館, 教授 (40150065)
田中 良之 九州大学, 大学院・比較社会文化研究院, 教授 (50128047)
岡田 裕之 九州大学, 大学院・人文科学研究院, 助手 (10346736)
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キーワード | 弥生 / 渡来人 / 縄文後期 / 小値賀島 / 韓国新石器晩期 / 青銅器 / 吉田遺跡 / 対馬 |
研究概要 |
北部九州へ弥生時代成立期に渡来人が来るとすれば、そのルートは朝鮮半島南岸から対馬、壱岐を経由して北部九州へ辿り着くものと考えられる。それを明らかにするため、初年度において対馬峰町吉田遺跡の発掘調査を実施した。残念ながら弥生早期の包含層は既に破壊されていたが、その下層の縄文後期包含層が良好に残存していた。本年度はその発掘出土品の本格整理を行うことにより、縄文後期初頭の南福寺式と韓国新石器時代晩期が併行関係にあることを明らかにした。これによって近年、縄文後期にもイネが存在することが明らかとなっているが、その伝播ルートが朝鮮半島を通過するものである蓋然性が高まった。また、こうした成果を検証するため韓国釜山市東三洞貝塚の資料を実見し、比較検討した。 本年度は、朝鮮半島との交流関係を明らかにするため、五島列島の小値賀島において3個所の遺跡の発掘調査を行った。神崎遺跡では支石墓1基を発掘し、弥生前期の可能性が高いことが明らかになり、小値賀島へ支石墓が流入する過程を考えるにあたっての好資料を入手した。シャラジ遺跡は、かつて弥生前期末の甕棺墓が出土していたため、、甕棺墓の発見を目指したが、残念ながら中世から近世にかけての遺跡であることが明らかとなった。しかし出土した陶磁器からは中世の東シナ海における広範な交易の実体を知ることができた。また、殿崎遺跡では縄文後期の良好な包含層を発掘した。この中には韓国系の土器が出土する可能性もあり、今後、吉田遺跡との比較研究が期待される。 この他、弥生文化の源流である韓国無文土器文化の系統問題に関して、これまであまり注目されてこなかった東海岸ルートに関して近年注目が集まっている。それは沿海州南部から朝鮮半島東北部を文化の発信地として考えるものである。そのため、沿海州南部での先史遺跡や先史遺物の資料収集を行った。
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