工学研究および工学教育機関の主たる社会的組織としては、大学院、大学および大学付置研究所、工業高等専門学校、工業高等学校、各種技術系専門学校、そして上記大学付置研究所以外の研究所があるが、これらは社会的変動とともに大きく変化してきた。大学レベルで見ても顕著に窺われる。明治初頭からの工学寮、工部大学校、東京大学理学部を経て確立された帝国大学工科大学以来の大学の位置は、その後、専門学校の大学昇格、そして第2次大戦後の新制大学と変化してきた。 そして、1958年以後の理工系学生増員政策によっても大きな変容を遂げてきたが、その変化は、まず量的な拡大の側面がある。明治期には帝国大学関係の工学部卒業者は、アメリカなどと比べて非常に少ないことが特徴であったが、これが1960年代になると急速に拡大された。同時に、これらの変化は、単に量的に拡大されてきたというだけではなく、たとえば秋田大学鉱山学部のように、鉱山専門学校から昇格して、学部になった例のように、旧来は専門学校であったもの、あるいは「工学部」の中の一「学科」であったような領域が「学部」となっていっていることが一つの特徴である。工学部の細分化である。つぎに特徴として現れてくるのは、これらの細分化も含めて、機械的に分化が発生するのではなく、きわめて大きく社会的経済的展開と結合して変化しているということである。本研究では、こうした実態的変化をトレースした。
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