本研究では、横須賀黌舎以来の幕末から明治以来の日本の工学および工学関係研究機関の展開を分析したが、その中で大きな問題は、日本の工学研究の特質を以下に解明するかにあった。これについては、各分野における特質分析はもちろんであるが、同時に、時代別に分析してみると、(1)幕末明初期における工学教育及び研究機関の特質から、帝国大学における工学研究の特質の解明、(2)戦後占領期以降における工学および工学研究機関の展開に分けて考えられる。しかし、両者共通の問題として、帝国大学における工学教育が、工部大学校のそれに比し、より理論重視の体制になったにもかかわらず、そして、たとえば職工学校から高等工業学校、そして工業大学に昇格する時代に強く時代の課題となった独立的な工業及び技術研究の課題が、戦後50年を経た時代にもなお強い時代の課題としてのこらなければならなかったか、ということにある。すなわち、実践的に、技術研究の課題は複線的な工業教育の体制のうち、ドイツ的な社会組織の形態をとって確立してきた非帝国大学の工学研究教育機関によってなされたが、それは、工学理論なるものの実態が、実践と対比される理論のそれではなく、社会的に固定化された、いわば「基準」化された理論としての社会的機能であった。以上のことが、工部大学校の成立過程や、以後の展開を分析することによって得られた。また占領軍における対日工業教育諮問団自体の影響は、占領政策に伴う品質管理、そして朝鮮戦争における軍需拡大の展開は別にして、また日本学術会議の成立や大学教育制度の確立等の面をのぞき工業教育政策内容だけをみればとくに大きなものはなかったといえる。
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