本研究の目的は、カント哲学における判断論を、彼の超越論的哲学の全体の中に位置づけながら考察し、それを通して、判断と存在の根源的な関わりを明らかにすることである。従来のカント研究においては、カントの判断論は、『純粋理性批判』の一部門である「超越論的分析論」に限定して論じられる傾向が強かった。しかしながら、理論哲学に限定した解釈は、カントの判断論のもつ哲学的意義を捉え損なうものである。本研究においては、「分析論」に偏向したカントの判断論の解釈の限界を次の二つの視点から批判することによって、カントの判断論のもつ存在論的意義を際立たせることにしたい。 第一の視点は、判断論を「分析論」にのみ位置づけるのではなく、それを、『純粋理性批判』の「弁証論」をも視野に収めながら捉え直すことによって、判断と「理性」、ないし判断と「理念」との深い関わりを明らかにする。すなわち、或る判断は、他の判断から孤立して成立しうるものではなく、判断相互の関係性において、さらには、理念的全体性との関係性においてしか成立しえないものである。カントのこの洞察を手がかりに、カントの判断論のもつ理念的ないし存在論的意義を明らかにする。 第二の視点は、『判断力批判』の趣味論や芸術論における反省的判断力の在り方に着目することによって、自然の生動性と多様性の表現としての判断の意義を浮き彫りにする。美の鑑賞や創作に関わる判断についての考察は、判断論を第一の視点における全体的理念との関係という側面のみならず、さらには、判断のもちうる創造的側面にも光を当てることになろう。
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