今年度は、現代のモラル・リアリズムをめぐる議論を念頭に置きながら、(1)「真理と価値」という問題について、専ら「行為と心理」を問題にするという仕方で考察を進めた。「行為と真理」をめぐる現代の議論は、一つの考え方に収斂する方向にあるというのではないが、個別の行為をめぐる行為者の判断の個別性を強調する点では、多くの議論は或る考え方を共有していると言える。その考え方は、反実在論に傾く可能性を内蔵しているものである。この点に関してB.Williamsの明白に反実在論的な議論と正面から向き合う必要がある。また、(2)実在論はそもそもどのような場合に可能でありどのような場合に不可能であるかを、M.Dummett等の真理論を問題にすることを通して明らかにしようとした。そう思われることと実際にそうであることの間に何の違いもないとする場合に、実在論は直ちに不可能であるということになるのではない。確かに、そう思われることとそうであることの間に何の違いもないとする場合には、極端な反実在論であると言える。他方で、どう思うかあるいはどう判断するかとは全く無関係にそうであるということは決まっているとする場合には、極端な実在論であると言えよう。しかし、どちらでもない、中間の考え方というのがあり得る。行為の評価ということをめぐって、このような考え方がどのようにして可能であるかを明らかにする必要がある。(3)そのような中間的な路線をとるものの一つとして、D.Charlesは現代の議論と対置させてアリストテレスのモラル・リアリズムを論じている。しかし、アリストテレスの議論だけが対置されるべきではない。同じように中間的ではあるあ、アリストテレスの場合とは別の方向性を持つものとして、初期プラトンにおけるソクラテスの場合について、それを現代の議論及びアリストテレスに関する議論と対比させながら論じる可能性を探求する必要がある。
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