フォイエルバッハ哲学史の独自性は、延々と続く原典からの引用と神学批判に見られる。それは、ヘーゲルの「発展」概念の応用であるが、同時にシュライエルマッハーの解釈学の影響でもある。フォイエルバッハは近世哲学史3部作で、デカルトやライプニッツ、ベールらのテキストに徹底的に内在し、その言説を相互に突き合わせ、矛盾や特徴をえぐり出した。この方法は、中世の神学ないし哲学でごく一般に用いられていた。プロテスタンティズムは聖書主義の立場を採るため、解釈学がいっそう強く求められ、それがシュライエルマッハーで一つの頂点を迎えていた。フォイエルバッハの方法は、のちのディルタイや前期フッサールのような「自己移入」としての「理解」ではなく、自我や主観を超えたものとしてテキストを重視する方法であり、ガダマーの解釈学やクリステヴァのテキスト論の先駆けである。当時まだ圧倒的勢力を誇っていたキリスト教会と闘うため、また、自らその熱心な信奉者であったヘーゲル哲学から脱却するために、テキストに即してその矛盾を突く方法がフォイエルバッハに求められた。 だが、この方法が、一つのテキスト解釈にとどまらず、ほかならぬ哲学史として展開されるには、他のテキストとの関係が明らかにされなければならない。そこで哲学史家の立場が問われる。フォイエルバッハの場合、それは神学批判であり、方法的懐疑主義であった。哲学史の解体を阻止できるとすれば、それはイェシュケが提案する「論争の哲学史」であろう。すなわち、個々の哲学を「孤立した、つまり個々の哲学者の思索の歩みから生み出された企図としてではなく、共通の問題連関において理解する」材料を提供するものとして、哲学史を構成する方法である。フォイエルバッハ哲学史はその前例を示したと言える。
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