研究概要 |
8世紀に出た不二一元論派創始者であるシャンカラは、インド最大の哲学者と言われる。これは彼の無限定ブラフマンの一元論が汎ヒンドゥーの思想だからである。ヒンドゥー教諸宗派は多くはバクティとタントリズムの導入し、発展していったのであるが、後世のヴェーダーンタの学匠はシャンカラとの相違の中にその独自性を見出し、新たな一派をたてていったのである。シャンカラ以後の宗教史の研究はこの30年間に著しい進歩を遂げた。しかしシャンカラとシャンカラ以前の研究はやや等閑視されてきた。中村元博士の『ヴェーダーンタ哲学の発展』(1955)以後、シャンカラ以前の研究については、S.L.Pandeyの『シャンカラ以前の不二一元論』(pp.209-228,1974)およびA.J.Alstonの『ヴェーダーンタの方法』(pp.213-259,1989)を数えるのみである。 さて、『ブリハドアーラニヤカ・ウパニシャッド』は、大文章「われはブラフマンなり」「汝はそれなり」を収めることで知られ、最も重要なウパニシャッドの一つである。それ故、同書に対するシャンカラの『註解書』もスレーシュヴァラの『評釈書』も重要な作品とみなされている。 バルトリプラパンチャは不二一元論の論敵であり、『ブリハドアーラニヤカ・ウパニシャッド』の別の『註解書』の作者でもある。スレーシュヴァラの『評釈書』にあっては最大の論敵として最も多くの対論を行っている。(彼はまたシャンカラ以前のヴェーダーンタの歴史の上でも偉大な人物で、知行併合説論者としても知られる)彼の著作は印刷物としてもまた写本としてもまったく入手できないので、彼の著作に基づいて哲学思想を再構成することは不可能であるとされてきた。他の手になる著作に見られる彼への言及を収集する以外に方法はないのである。 そこで、本研究者はスレーシュヴァラの『評釈書』を翻訳し、バルトリプラパンチャへの言及を収集しようと計画した。訳出の作業の過程で、本研究者は『シャーストラプラカーシカー』(アーナンダギリの『評釈』への注釈書)がバルトリプラパンチャの『註解書』に言及し、バルトリプラパンチャの考えや思想が多く含まれていることに気づいた。アーナンダギリは『シャーストラプラカーシカー』を書くに当たって手元にバルトリプラパンチャの『註解書』を置いていたことは間違いない。そこで、本研究者は「アーナンダギリ」をもキーワードにその『註解書』の発見に努めることにした。しかしながら、2ヵ年にわたる努力の末最終的に探査を断念したのである。また、散見される断片に基づいてバルトリプラパンチャの哲学思想を再構築することもまたマンモス・タスクであり、未だ途上にあるに過ぎない。以上のような状況において、本研究者は、作業過程の成果としてスレーシュヴァラの『評釈』に見られるバルトリプラパンチャへの言及を研究報告書にまとめて提示するものである。 なお、研究発表(次頁)のうち(1)(2)(5)の一部のみが本研究報告書の本編に再録されている。
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