本研究の目的は、いわゆる「カルト」による宗教トラブルを瞥見し、そこで交わされるカルト側の「救い」の主張と、これを受容する信者側の宗教的志向性との関係を検討していくことである。ここでいう「宗教的志向性」とは宗教教団に所属せずに精神世界や生き方の模索・探求に関する啓蒙書、自己啓発や修養を目的とした講座・セミナーに強い関心を持っ志向性のことをいう。また「宗教トラブル」とは、上記のような志向性によって引き起こされた精神的・肉体的・経済的な被害のことを指す。 本研究では主要カルト10団体を検討し、そこでは(1)現代医療のオルタナティブの示唆(病気治しし)、(2)運命、性格、人間関係の好転・改善が強調され、(3)現世との対決を主張する一方で、(4)現世からの撤退が説かれることがわかった。だが、こうした「救い」の勧誘に端を発し、違法行為も認められ、社会から隔絶した形で自らの信念強化をはかったり、逆に現世に留まりながらも外界の情報を遮断する形で、実質的な現世からの精神的な隠遁を企てたりすることも見逃せない。 こうしたカルトの主張に呼応する信者の宗教的志向性を検討すると、信者の宗教的志向性に関しては虚しさがその中核にあり、そこから自己変革や社会変革に向かうことが確認される。しかし、こうした展開は何もカルトに限ったことではなく、虚しさ、漠然とした不安、人生の意味を見出だせないといった志向性は、それが宗教的であるかどうかは別にして広く現代人に分有されている。 個人主義の寄る辺ない状況での自分探しの空回りが、かえって自己抑圧を強いるカルトにたどり着かせている。そして、その背景にはあるのは、絶対的な価値観を失い、個々人がそれぞれの生きる意味や人生の目的を模索していかなかればならないといった、現代社会の価値相対主義なのである。以上の点を別記のような論文において発表した他、現在報告書作成中である。
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