本研究は日本人のキリスト教受容(特にカトリックのケースを扱う)の性格を明らかにするために、二つの基本的な問題設定の下に調査研究を行ったものである。ひとつは、16、7世紀のキリシタン時代、19世紀中期のキリシタンの復活期、現代のカトリック信徒のあいだに、キリスト教に対する普遍的な共通する理解態度が一貫して存在するのか否かということ。いまひとつは、江戸幕府による230年間に及ぶ厳しい迫害を経て明治初頭に復活した、カトリックの血を代々受け継いで今日にいたっている、いわゆる復活キリシタンの子孫にあたる信徒達と、比較的新しく自ら選んでカトリックに入信した人々とのあいだに、信仰の質的差異が存在するのであろうかということである。 上記の問題関心に沿って、平成13年より16年にわたる4年間、迫害を経て復活したキリシタンの子孫によって主として組織されている(1)長崎県下外海地方黒崎教会、佐世保郊外大崎教会、上五島青方教会、生月島山田教会(2)熊本県下今村教会、崎津教会、大江教会、新しい大都会のカトリック信徒によって主として構成されている地区として(3)横浜二俣川教会、東京麹町教会、京都河原町教会等を調査した。 当初、両者の間にはかなりの差異がみられるのではないかと予想を立てていたが、世界に広がるカトリック教会の持つ教義、典礼の普遍性は想像以上に強いものがあり、復活キリシタンの子孫たちの信仰形態は日本の伝統的な宗教観念とさほど習合しておらず、都市部の新しい信徒との間に根本的な差異を認めることはできなかった。日本人の生真面目さに起因するのであろうか、一枚岩的な司祭団の指導に忠実に従い、重層的な伝統的宗教観の入る余地は大きくない。しかしながらこの現象は、日本人が自覚的に正しいキリスト教教義を理解し実践しているということを意味してはいないようである。信仰は形骸化し、習慣化し、義務化している。
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