研究課題/領域番号 |
13610038
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研究機関 | 新潟大学 |
研究代表者 |
栗原 隆 新潟大学, 人文学部, 教授 (30170088)
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研究分担者 |
城戸 淳 新潟大学, 人文学部, 助手 (90323948)
山内 志朗 新潟大学, 人文学部, 教授 (30210321)
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キーワード | 市民 / 公共性 / 責任 / 自由 / 義務 / 大人 / 共同 |
研究概要 |
<個人の自由と平等>を核心とする今日の倫理規範が、教育現場や市民社会、さらには先端医療の臨床応用などの場面で必ずしも晋遍的に有効だとは言えなくなっている状況を踏まえて、近代の倫理の成立期へと遡及して価値観:を再検討せんとする試みの一年目、栗原は、「公共性」「責任」という観点から、自由とは本来、個人に帰されるものではなく共同する自由を意味していたことを明らかにしつつ、個人の利害関心に拠らず、「不特定多数」を想像することのできる知の重要性を掲げて、論稿「見えないところまで見る眼差し--想像力としての知」へと結実させた。山内志朗は、自己決定が個人レベルから細胞レベルにまでミクロ化したところで成立する今日的な状況を踏まえて、論説「ありきたりに生きろ」において、目で見える限りの生においては、「ありふれたこと」が生の唯一性,を支えていることを明らかにした。城戸淳は、青春の喪失が喧伝される今日にあって、啓蒙時代の課題であった幼年時代から脱却して大人になることの真意は、むしろ、子供を脱却しようとする「アドレッセンス(青年)の哲学」であったことを、論稿「啓蒙時代におげる成年市民の概念一カント『啓蒙とはなにか』を読む」において明らかにした。 この共同研究は、一年目を終えたところで、「市民」「公共性」「責任」「義務」などをめぐる<シチズンシッブ>研究という姿を示し始めている。それこそ、近代の価値観の源流でもあって、今日の倫理観には喪われたものでもある。現代の倫理にあって喪われた価値観がむしろ、近世初頭には生きづいていたことを確認して、二年目の研究に向かう。
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