本研究の目的はプラトンの初期対話篇を対象として、「対話」ということばによる探求の在りかたを解明し、その意義を明らかにすることにある。プラトンが描いた「対話」とはたんなる思考の痕跡ではなく、問う人と答える人(そしてその対話の場に臨む人)によって織りなされる運動である。すなわち、ソクラテスの対話による探求は、それにふれる者の生が刻印されてしまうような場としてある。しかも、初期対話篇に描かれるソクラテスの対話はしばしば本筋を離れ脱線し、またアポリアに陥る。このような「ソクラテス的探求の対話としての構造」の在りかたに焦点をあて、本研究はその対話構造を明らかにすることを目指した。同時に、この対話構造に関する考察は、現代の医療にそくして論じられている臨床倫理・臨床哲学への批評を通じて、ソクラテス的探求の意義を提示しようと試みた。研究の最終年度にあたる平成15年度においては研究報告書の作成に重点をおき、対話としての構造分析を中心とした5章からなる(209頁の)報告書を作成した。また、現代的意義という側面を意識した研究の成果に関しては、北海道哲学会編『哲学』第39号および静岡大学哲学会編『文化と哲学』第20号において発表した。このような研究経過の発表について、プラトンを読むことが哲学という営みであるならば、その意義はまさにプラトンの読解それ自体のうちに求められるべきであるという正当な批判があろうかと思われる。ソクラテスの対話による探求の構造に関する研究とその現代的意義に関する研究とがあたかも分離しているかのような仕方での研究成果の在りかたについては、今後の課題としたい。
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