本研究では、これまでの研究との関連でいえば、近代日本における日本思想史(日本倫理思想史)の成立史に、津田の国民思想史をどう位置づけるか、が中心の課題であった。そのたれをあきらかにするためには中国思想の見方など、東アジア思想文化への津田の眼差しの検討がさけられないが、それらを参照しつつ、国民思想史の成立を中心に検討した。近代の日本思想史研究は、その成立の当初から、哲学としてはドイツ文献学解釈学、あるいはドイツ歴史主義の影響の中で、日本思想の個性を照らし出すという動機を持っていた。その意味で和辻の倫理思想史研究などとも深い連関を持つが、にもかかわらず、津田の思想史叙述は独特である。前後の思想叙述が、思想史方法の伝統の中における先駆者として国学との学的親近性を意識している。大きな意味では津田も国学的であるといえるが、そこでは、一括できない相違をもつ。 明らかになったことをあげるなら、(1)津田の場合は、ひろく東アジア文化圏というような普遍の層を先験的にたてないこと、(2)日本の始源(記紀神話)に理想の日本的なものを置くようなことをしないこと、(3)それは始源をもとめるという発想そのものを拒否するということになる、(4)明治維新の思想史のなかで、中国伝来の諸思想への国民思想の距離感を表明しながら、同じく異文化である西洋文明に対しては、それと日本人は同化しえたという論理的な屈折をはらむこと、等をあげられる。 こうした観点から、あらためて国民思想史の構想を考察した。
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