近代同本の思想についてアイデンティティ問題を軸に探究する作業の第三年度として、今年度はとくに昭和前期の時期を中心に問題状況を検討した。前年度に引き続き、京都学派の思想家を中心に、その言説をアイデンティティ問題の視角から分析を行ったが、改めて三木清に焦点を当てて取り組んだ。昭和前期の三木清の旺盛な思索及び評論活動が、近代日本人のアイデンティティ問題という課題をその核心に蔵していることは、一見すると自明のように思われている。三木は繰り返し日本の封建的要因を指摘し、近代的主体の未確立を嘆き、新たな主体の形成を説いているというわけである。そしてこうした近代的主体の形成が、そのまま新たな日本人のアイデンティティの確立に接続していうように受け取られている。しかしここには短絡が潜んでいる。むしろこうした近代的主体の形成の挫折のうえに、改めてアイデンティティと新たな主体の構想が芽生えてきたと考えられる。こうした問題性が鮮やかに窺えるのが、未刊に終わった『哲学的人間学』における挫折の経緯である。従来、この書物の挫折の要因については、いろいろと語られてきたが、多くは叙述の整合性など形式的な要因が指摘されてきた。検討において、挫折の要因が内容そのものに内在する本質的な事柄に関わるものであること、とくに自然概念の導入に関わる<主体>の根本的な捉え直しに関わることを明らかにした。そしてこの問題が、近代日本人のアイデンティティをめぐる課題と深く連動していること、とりわけ宗教問題と深く絡んでいることを指摘した。
|