文化的・国民的アイデンティティの問題は、近代日本の思想史において不可欠の課題であった。アイデンティティの問題がつねに思想史上の重要な問題であるわけではない。それはいくつかの歴史的諸条件の組み合わせの中で浮上してくる課題である。しかし近代日本の置かれた思想状況は、まさにアイデンティティの問題を中心的な問題として浮上させることになった。なぜなら近代日本の近代化の歩みは、その目標を西洋に取ることで、西洋化の歩みと重なる仕方で進行せざるをえなかったからである。また、その急激な近代化の速度は、伝統と調和的に変化を遂げていくことを難しくさせるものであった。ここから伝統的な型でもなく、西洋模倣の型でもない、新しい型の人間像を創出するという困難な課題に直面することになった。本研究では、この文化的・国民的アイデンティティの問題について、以下の二点を中心に解明を試みた。(1)多くの思想家がこの課題に取り組んだわけであるが、その多様な取り組みを類型化するための枠組について検討し、提案をおこなった。(2)とくに和辻哲郎と三木清について立ち入って考察し、彼らの思想形成の核心において、どのようにアイデンティティの問題が深く食い入っているのかを具体的に論証した。
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