18世紀を中心とする創発論的自然観について、ボイル、ハラー、モンペリエ学派を中心にして考察を行い、次のような成果を上げることができた。 ボイルは化学的場面における粒子論的物質理論、ハラーは生理学における階層的構造機能論的生物像、モンペリエ学派は、やはり生理学ではあるが、諸生命の生命という階層的生気論的生物像と、それぞれ相違しながらも、そこには次のような共通性が見られた。(1)全体を考えるに当たって基本単位として原子的なものを前提する、(2)全体を諸構造の構造、諸生命の生命といった階層的秩序において見る、(3)より高次の構造に対応してより高次の機能が存在するとする、(4)低次の構造にはなかった機能が高次の構造においてなぜ出現するのかを説明する必要を感じている、(5)その説明のために、あるときは創発、あるときは「隠れた力」、あるときは霊魂などに依拠する、(6)神秘的なものに助けを求めず、構造機能論を徹底的に貫こうとする場面で、創発の論理を豊かに展開することになる、以上の共通性である。彼らに共通する自然観は粒子論的階層的構造機能論的創発論的自然観(以下、創発論的自然観)と特徴づけることができる。 17、8世紀の自然観については、宇宙全体を機械=時計とする機械論が流行し、それに生気論などが対抗したが、最終的に前者が勝利したと見られている。しかし、これでは創発論的自然観の存在が見えなくなってしまう。だが、実は近代科学=機械論・要素主義ではなかった。原子論の復興を契機として、上述したような創発論的自然観が登場し全体論的で複雑な見方を展開していった。言葉はなくても創発を問題とせざるをえないような自然観がこの時代に存在し発展し続け、近代科学を支える自然観の重要な一部を形成していたのである。それゆえ、粒子(原子)論もまた機械論ではない。粒子(原子)論からある種全体論的ともいえる自然観が展開されたからである。
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