本研究は、現代におけるベートーヴェン<ピアノソナタ>の演奏表現の可能性を探ることを目的としている。可能な限りの楽譜、文献、視聴覚資料にあたり、また様々な時代の楽器で演奏を行った。 19世紀半ばから20世紀半ばまでは、多くの校訂楽譜が出版された。そこに記された表情記号、楽語等から、自己主張のはっきりした自由な、創造的な演奏表現が行われていたことが窺えた。 20世紀後半になり、校訂版にかわって多くの原典版が出版されるようになった。「原典主義者」の台頭はベートーヴェンから続く演奏の伝統を断ち切る結果を招き、演奏は画一化され、個性を失った。記された記号を遵守し、記されていないことには消極的になっていることが視聴覚資料などで確認された。 楽譜を精査する中で、ベートーヴェンが強弱記号を敢えて付さなかった部分があることがわかった。敢えて付さないということはfでもpでも無い表現があるということであるが、多くの原典版はこれらの「中庸の強さ」の部分にもfまたはpの強弱記号が補足されていた。 ベートーヴェンが指示した様々な記号は、現代のピアノの構造・性能とは大きく異なる当時の楽器を想定したものであることから、国内外のできる限り多くのフォルテピアノを演奏しその効果を確認した。現在の楽器で同様の演奏表現効果を得るには、様々な奏法を駆使することが必要であることが明らかになった。当時の軽い鍵盤に対しては、腕を使った奏法ではなく指先のデリケートなタッチの変化がより重要であること、平行弦特有の低音域の明瞭な発音を現代楽器で実現するには、シャープな打鍵と抑制されたペダルの使用が不可欠であること、sfの効果を現代楽器のフェルトのハンマーで出すには鋭敏な打鍵が必要であること、などである。
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