本研究のねらいは、武器やその他の対抗資源を持たない弱者がなぜ政治的強者に対して成功確率の低い反抗行動を行うのかという問に対して答えることである。反逆や集合行為の由来を捉えようとするなら、その運動を起こした者が持つ文化に対する理解が不可欠である。 本研究は、抵抗の源泉を当該集団の「文化」にもとめる。研究は社会運動文化についての理論的考察と、その理論的考察を検証する実証作業との二つの局面で進行した。特に実証に当たっては、信州下伊那地方における江戸末期の農民運動を題材にとり、農民文化の中に含まれる抵抗の源泉を探った。史資料を通して確認するポイントは、それまで被支配的立場におかれている階層の農民が、どこに抵抗の正当性を求めたかである。史資料を通して見た結果、近世後期に何度も起こる下伊那の農民運動は、被支配階級の正義を代弁するものとして「義民」の考え方がその背後にある生活苦という構造的特質に支えられて農民の生存自体が危ぶまれるほどの困窮期に表面化すること、義民という概念が共同性意識の中心として存在すること、さらに、そのような「義民」文化は、田舎芝居・人形浄瑠璃などを媒体とし、近江や江戸表から運ばれてきたことがわかった。「義民」の考え方は、農民の支配に対する反抗の文化的源泉として、支配者の不当性をつく根拠として、日々の生活の合間に娯楽のかたちをとり日常的に実践されていたことが伝統として文化を保存継承してゆく基礎となったという理解を得た。
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