本研究の目的は、記憶と文化の関係について18世紀初頭の「赤穂事件」を手掛かりに分析し「文化社会学」の理論的・経験的な可能性を追究するものである。この場合、(1)記憶は既存の文化的な「枠」に準拠して「構成/再構成」される、(2)記憶は集団や個人のアイデンティティ形成の焦点となり、新たな「文化」や「物語」として「生成」する、という仮説を設けた。研究の結果、次の知見等が得られた。 1、文化論・記憶論関係の文献を検討し、記憶と文化の関係の二重性や記憶様態の類型を理論的に明確にした。2、『忠臣蔵』の英仏訳書等を検討し、赤穂事件記憶の演劇文化や国民文化としての成立過程の一側面について知見を得た。3、『忠臣蔵』初演(1748年)から1989年までの歌舞伎上演記録から、明治40〜大正10年頃(1904〜1921年頃)の上演数の突出を確認した。これはナショナリズムの高揚と結びつく国民文化の形成を示している。4、事件記憶の構成において「サムライ名誉文化」がどの程度「枠」として機能したのかについて、事件論評や武士(道)関連文献を検討し理論的な知見を得た。5、「赤穂義士祭」について、義士祭・義士会および観光関係の資料を収集し義士祭の担い手やツーリズム的特性について知見を得た。6、愛知県吉良町における吉良義央関係の史跡・事績・伝承等を整理し、「対抗記憶」が形成されてきたことを確認した。7、京都・山科の岩屋寺における拝観者への対応に関する調査により、事件に関する語りを分析資料として採取した。8、長野県南部伝承の牛牧義士踊り・阿智義士踊りを現地調査し、歴史的事件の芸能化に関する知見を得た。9、川崎市旧下平間村所在の、義士富森助右衛門ゆかりの銚子塚を視察し、泉岳寺や大石神社の調査結果とも比較しつつ、義士にまつわる祭司のあり方に関する知見を得た。10、「忠臣蔵サミット」関係の資料を分析し、事件記憶の行政文化的・地域文化的な資源=資本化の動態について知見を得た。
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