本研究は、カリキュラムを経験的にとらえるための方略としてナラティブ・スタディという手法を定義し直し、カリキュラムという経験を主観的な営みをどこまでとらえうるかという課題を追求したものである。これまで自伝的方法や潜在的カリキュラムというような形で試みられてきたアメリカのカリキュラム研究から学ぶところは大きく、カリキュラム概念が公式の記述を超えて主観的な意識の流れとしてとらえられるべきであることを学んだ。このような方法意識から、使われるデータや資料の性質は、これまでの公式のカリキュラムの規定ではなく、そのようなカリキュラムとは別な文脈や背景を抱えたものとなる。たとえば、ポートフォリオは、子どもたちの主観的な意識の流れを集大成し、学習指導に生かすという役割を負っている。さらに、子どもたちの日記は、開示されたときは、まったく主観的な世界の展開を見ることになる。あるいは、主観性は、全く社会構造的に、文化的な背景をもって分析することができる。このような文脈にあるカリキュラムを抽出する装置の開発のみならず、その装置から読み取れる意味や価値についての分析の枠組みそのものが優れた価値を持っている必要がある。具体的には、総合的学習を試みていた先進校の卒業生のナラティブは、他の学校の卒業生のそれと比べて社会に対する能動的で、計画的な働きかけに優れていることが判明した。また、このような主観性の流れの中において個々人の主体性、主導権の発達において優れていることが判明した。本研究を通してこのような発達のレベルを明らかにする方法としてナラティブは、有効であることが検証できた。
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