1.戦前の学級改造の先駆者である木下竹次の学級論を、前年度に検討した及川平治と対比しつつ検討を行った。両者とも学級内に小集団を形成して教授の効率化を図る点で共通するが、及川が学力等質集団を志向し、多様な個性が混在する学級及び学級内小集団の教授学的意義を発見できなかったのに対し、竹下はその教授学的意義を発見した。ただし、それは、修得主義をめざす者ではなかった。修得主義(ないし課程主義)の要求(例えば中学入試)は、彼の経験主義的教育思想とは相容れず、外圧ないし必要悪に対する対応として終始した。 2.昭和初期測定運動の影響を受けた学級経営の事例として、奈良県郡山尋常高等小学校を取り上げ、その特徴を分析した。明治末期に登場した個性調査は学校レベルで発展定着し、調査項目には知能テストが取り込まれ、これらと試験成績の分析の調査に基づく教育計画・学級経営が志向された。しかし個人間の差異の発見とその差異に応じた学級経営は、必ずしもすべての子どもの学力保障につながるものではなかった。 3.昭和初期の学級共同体論について検討を行った。概括して言えば、この論は学級の訓育的機能を重視することで、履修主義を一層強化する役割を果たした。
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