本年度の研究を通じて、中国語を中心とする江戸時代の外国語の受容・教授に関係するいくつかの資料を収集すると同時に、江戸時代とりわけ鎖国期の日本における中国語の受容および教育の過程に関して以下の基礎的な史実が判明した。 江戸初期の日本において中国語教育が興った背景には、鎖国以降、江戸幕府の管轄の下に進められた日中間の民間貿易があり、幕府による日中貿易の管理統制上および幕府必需品調達上の要請があった。日中貿易の現場で中国語を理解する人材が必要とされたのである。最初に中国語ができる人材の育成に携わったのは、中国の貿易船に搭乗してきた中国人、主に中国貿易に従事する商人であった。ここで疑問なのが、当時の中国社会においては、身分の高低が士、農、工、商に分かれ、学問を講究するのはもっぱら士大夫階級であったのにもかかわらず、商人でも中国語教育を担当するばかりか学者人士と交際するほど学識を持っていたことである。本年度の現地調査でこの疑問が氷解した。江戸初期日本に舶来した泉州、〓州の商人いわゆる安平商人の一部は、学問にも商売にも長けていたのである。これらの商人たちは自ら読むためや、子弟を教育するため常に書籍を携帯し、日本に来航する際にも大量の漢籍を舶載してきたのであった。 また、この時期は中国においてちょうど明末清初の王朝交代期にあたり、官僚や知識人など明の遺民たちも異民族王朝である清の統治を嫌って貿易船に乗って来航し、彼らも中国語教育をおこなった。
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