明治5年(1872)の「学制」公布よりちょうど10年前、幕府はヨーロッパの教育事情を調査する命令を下した。それは、文久2年(1862)の遣欧使節派遣に際してなされた。幕府は使節団に対して、外交交渉と同時にヨーロッパの産業や諸制度の調査を命じたのであるが、その中に政治制度・軍制とならんで、学制の調査が重要調査事項に指定されていた。もとより、教育制度は、議会制度・税制・軍制などとともに近代国家の重要なシステムである。このような認識を政策担当者が持つようになった背景には何があったのか、それを本研究では明らかにしようとした。そして、当時としては最新の、すなわち19世紀中頃の西洋教育情報を含んでいる小関高彦『合衆国小誌』や、漢訳洋書『海国図志』『瀛環志略』『地球説略』『地理全志』『聯邦志略』『英国志』を調査分析した。 その結果、これらの書籍の中には、文化の繁栄を支える大学の存在だけでなく、産業革命とともに発展してきた鉱工業のための人材を育成する中等専門学校、国民を養成するための教育制度などの情報が豊富にあることが分かった。とくに、ヨーロッパの先進国やアメリカ東部諸州において形成されつつあった国民教育制度についての情報が日本にもたらされていたことは重要である。また『聯邦志略』『英国志』は英米の宣教師が著したもので、教育が近代社会の基本的なシステムとして位置づけられていることも重要である。 この点に早くから着目していたのが箕作阮甫である。彼は蕃書調所教授であり、西洋事情研究の第一人者であった。その箕作阮甫が文久2年遣欧使節派遣の時ヨーロッパ教育事情調査指令に関わったのではないかと考え、現在調査中である。
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