本研究は、近代初期の「客家系」著名人を題材としつつ、エスニック・アイデンティティーに関わる言説の生成過程を分析し、モデル化した。 民国期広東省を中心とした客家出身とされる政治軍事著名人の分析を通じ、陳銘枢、張発奎などのように地理的・言語的にみて明らかに文化集団としての客家の出であったと思われる人物から、孫中山、陳炯明のように少なくとも生まれ育った地域文化環境からは客家の出自とは認めがたく、ただ系譜その他の解釈から「客家系」であることが主張されているにすぎない人物まで含まれることが明らかになる。また、それらいずれの場合であっても、その民国期の政治軍事舞台上での活動において、自らが客家であることをその人脈形成や社会的競争において積極的に活用していた証拠は顕著にはみられない。 このようにしてみると、客家出身とされる民国期政治軍事著名人たちの「客家」性は、羅香林に代表される客家民系の研究者・称揚者により後付的に付与され、あるいは少なくとも増幅された性格が強いものであると言わなければならない。そのような著名人の客家民系への「取り込み」過程には、出身地による類推に基づくものが一つのパターンとして存在し、これが最も簡便な方法である一方、孫中山の事例にみられるように、系譜の探索あるいは策連によるパターンが存在する。いずれも、籍貫や父系出自といった中国社会に内在的な「本源的指標」に準拠しながら、それらの著名人の「客家」性は自明化され、客家民系の「特性」や「本質」を象徴する存在としての言説が生産されてきたことが明らかとなる。
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