研究成果報告書として、学術論文(1)「津八幡宮の史料と画像」、(2)「洛北における盆の風流灯籠踊り」、(3)「鹿児島城下諏訪社の練物風流と太鼓踊り」、(4)「雨乞いの灯火風流-幕末兵庫津の事例」を合わせて提出した。 (1)三重県津市の八幡宮祭礼の現状調査を踏まえ、江戸時代、津惣町の鎮守であった八幡宮祭礼における風流について考察した。 (2)国立歴史民俗博物館蔵「長谷踊夜宮図」は、京都市左京区の岩倉盆地の東に鎮座する長谷八幡宮で演じられている盆の風流踊りを描いたものと思われる。この灯籠上の作り物として、水車、御座船、牡丹、鳥居と神社、梅、桶に柳、花瓶などが判別できる。現在の京の盆の芸能としては、西南部には芸能的六斎が席巻し、東北部には念仏踊りや題目踊りが伝えられている。近世の文献や画像資料から考えると、長谷八幡宮風流踊りは、京の町中で16世紀まで流行した風流踊りの流れであることが分った。 (3)鹿児島県薩摩地方における民俗芸能について、分布上特徴的であるのは太鼓踊りである。姿形、踊りの隊形、踊り手が背負う装飾、踊り時期など、多種多様かつ複雑である。大局的にみると、西日本各地の風流系太鼓踊りと共通している。薩摩地方における太鼓踊りの特色は、諏訪神社への奉納太鼓踊りに顕著にみられ、その伝播と定着に大きな影響を与えたのが、鹿児島城下諏訪神社への太鼓踊りの奉納である。 (4)1852年6月3日より3夜連続して、兵庫津の27の町々(現神戸市)が雨乞いを目的として、西国街道を舞台に一大灯火行列を繰り広げた。その光と色彩と色のページェントともいうべき作り物風流を取り上げて、風流史的意義について考察した。毎年繰り返される年中行事と異なり、雨乞いのような一回性の臨時の行事においては、殊に各町の創意工夫が発揮され、まさに風流の精神が溢れ出る行事ともいえる。
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