本研究課題名は「近代日本の要塞築造と防衛体制構築の研究」ということで、1910年要塞防禦教令の成立過程を中心に実証的に考祭を深めてきた。この結果、3年間にわたる本研究の実績と成果としては、下記の4点をあげることができる。 第一に、1910年要塞防禦教令はその頒布(限定部数、閲覧者制限等)と保管自体が厳密な機密保護体制の下に管理されてきたので、参謀本部及び要塞司令部の限定された業務従事者のみが閲覧・調査・審議等の対象にすることができただけである。これによって、近代日本における要塞防禦の意味等の公開的な議論・研究はほぼ完全に閉ざされてきたということができる。これに対して、本研究は、1902年要塞防禦教令草案と1910年要塞防禦教令の各款項等が意味する内容を初めて解明・考察したことになる。第二に、1910年要塞防禦教令は日露戦争前の1902年要塞防禦教令草案の特に「編冊草案」の記載事項と比較するならば、戦備を基準にして、戦備実施、要塞守備隊配置、防禦戦闘等に関してかなり整理・整備した規定を示したことである。第三に、1910年要塞防禦教令は要塞内の民政・警察事項等の規定においては、1882年の戒厳令制定段階においては特に合囲地境内の具体的な戒厳業務が必ずしも明確でなかったのに対して、軍隊側の戒厳業務内容(地方行政機関との関係、治安維持対策、住民避難、給養・衛生、住民の軍務従事等)の具体的な考え方を示したことである。第四に、クラウゼヴィッツが指摘するように、常備軍建設以降には要塞の自然的な住民保護の自的が忘れ去られていくが、1910年要塞防禦教令の成立過程をみると、日露戦争後直後には、部分的には要塞の自然的な住民保護の議論は潜在化していたものと考えてよい。
|