本研究は、儀礼をめぐって朝廷・幕府・藩とがいかなる関係を取り結んでいたのかを解明することにより、近世の朝・幕・藩関係の研究を深化させ、近世国家史研究を豊かにすることを目的とした。とくに、これまで研究の乏しかった天皇の即位と葬儀のさいの儀礼を中心にすえて検討した。 即位式に関して。1630年の明正天皇と1643年の後光明天皇の即位式には、大老と老中クラスの2名に以心崇伝、あるいは林羅山を添えて京都に派遣し、朝廷側との交渉や10万石以上の大名の使者を指揮させた。しかし、1655年の後西天皇の即位式以降は、家門大名、あるいは有力な譜代大名1名に高家1名を添えて派遣する形式となった。また、京都へ使者を派遣して進物を送る大名は、5万石以上あるいは4位以上となった。5万石以上および4位以上の大名、すなわち城主および侍従以上の大名が、朝廷と一定の独自の関係を持ち、一種の国家的な家格として設定されていたことを示している。 葬儀に関して。即位式に比較して史料が乏しいという特徴がある。大老、老中クラス、あるいは有力大名の派遣もみられず、京都に使者を派遣して香典を献上する大名は、10万石以上となっている。ここには、即位と葬儀では異なる、朝・幕・藩の関わり方が認められた。これ以外に、女御の入内、天皇の疱瘡、元服、立太子などの儀礼に関しては、次第に10万石以上の大名に関与させるように整備されていった。 5万石ないし10万石以上、および4位以上の大名を朝廷儀礼に参加させ、その儀礼の範囲を拡大していったことなどが明らかとなった。
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