本研究は、地域社会のヘゲモニー主体としての大地主のあり方、すなわちその部分社会の統合のあり方について、地主制研究と流通史研究の接合を視野に入れながら、明らかにしていくための方法的視角を獲得することを目的として行った。具体的には、新潟大学図書館所蔵五十嵐家文書などの地主経営史料に加えて、新潟県西頸城郡能生町伊藤家文書といった廻船側史料の整理・収集によって、作徳米の流通過程をより広い視野で明らかにすることに努めた。収集史料の考察によって得られた知見は以下の通りである。 1.近世越後の港町で売買される米のうち、「三田米」・「作徳米」と表記されるものは領主蔵米とは区別される地主作徳米の呼称である。 2.三田米・作徳米は同じ納屋米でも「町米」とは価格表不形態が異なり、むしろ蔵米と共通した売買形態が予想される。 3.作徳米呼称は越後から出羽・陸奥に掛けてみられるが、三田米呼称は新潟を中心とした越後北部にのみみられる特殊な呼称である。17世紀以来登場する町米に対し、この三田米は18世紀半ば以降に登場する。 4.上方・瀬戸内地域では越後の三田米・作徳米は特殊な商品として認識されていた。 5.三田米・作徳米に冠される地名表記は地主蔵所を介した販売形態に対応しており、このことが領主蔵米に準じた品質保証につながり、特殊な商品として認識されるに至った要因であると考えられる。 6.現米集荷に携わらない在方米商人の存在も含め、こうした地主蔵所の機能こそが、大地主の地域社会統合のありかたを解く鍵となる。 以上の知見・仮説に基づいて今後の研究の進展に資する方法的視角を得ることが出来た。
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