明治維新以来140年間、日本はあらゆる面で、西洋を模倣し、急速な近代化を遂げてきた。しかし一つだけ模倣しなかったものがあった。それが大学制度であった。大学制度だけは、西欧的な大学ではなく、日本的な大学をつくりあげてきた。その結果日本の大学には、世界の大学にないいくつかの特色が生まれた。その一つが、一つの例外もなく、すべての大学に、歴史学部が存在していないという特色であった。歴史学という学問を、何所までも軽視するという特色であった。 ではなぜ日本の大学には、そのような特色が生まれたのか。その理由を、西洋の大学との比較の中で明らかにしたのが本研究である。 1886年の帝国大学設立当初、初代文部大臣森有礼は、決して歴史学を軽視してはいなかった。むしろ西洋の大学なみにそれを重視していた。しかし彼の死後、日本の大学は確実に歴史学への関心を失っていった。1893年の帝国大学令の改正以降、その動きは加速された。ではそれはなぜか。日本の大学が、後進国にふさわしく、独創的学問の追及をあきらめたからであった。独創的学問を追及しないのであれば、仮説検証の学としての歴史学はいらなかったからであった。
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