本研究は、近世西日本地域における特徴的な漁業形態であった他国出漁に関する実証的研究である。中でも、他国出漁の舞台となった対馬藩と、この対馬へ盛んに出漁していた長門国豊浦郡漁民を主たる分析対象として、その漁業の実態、漁民の移動の在り方などを分析した。そこでは、他国漁民の入漁を奨励する対馬藩漁業制度の実態解明を進めると共に、出漁した漁民の側から、具体的な出漁形態や経営の在り方を考察した。特に注目されるのが、他国出漁という漁業形態では、出漁漁民を輩出する豊浦郡側、受け入れる側である対馬の、双方において魚問屋・曳船問屋などの資本が重要な役割を担っていた点である。対馬出漁の歴史の長い豊浦郡では、幕末期になると、金融と流通機能を担う問屋と漁民が一体となって出漁する「旅元方」という特徴的な出漁形態が出現しており、近代の韓海出漁につながる他国出漁の発展形態として注目される。また、釣漁・延縄漁などの対馬出漁を取り上げ、朝鮮国境を抱える対馬藩が、この種の漁船を如何に取り締まっていたのか、朝鮮海出漁問題とあわせて、対馬藩の国境管理についても考察した。これらの諸研究は、論文にまとめて、研究成果報告書に収録した。 この他、今回の研究で基礎史料として用いた対馬藩の藩政文書「宗家文庫」等(長崎県立対馬歴史民俗資料館所蔵など)の漁業関係史料の抽出・分析を進め、「対馬出漁史関係年表」という形にまとめ、あわせて重要史料の翻刻も行った。前者の年表は、関係史料索引の機能も果たす一種のデータベースであるが、今回の研究期間では全時代を網羅できなかったため、研究成果報告書には「中間報告版」として掲載した。
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