研究概要 |
本年度の当初に設定した研究課題は,民謡「大津絵節」が幕末・明治期に,歴史情報と特定の感性(変革期特有の志向性)を伝達する手段として機能していたことを,具体的事実を通じて確認することであった。収集した文献・資料から明らかにできたのは, (1)日本放送協会編『日本民謡大観』に収録された「大津絵節」は,東京・横浜など関東のみならず,四国・九州にも流布され,オチエなどの題名に変化しつつ,きわめて広範囲に分布するようになっていたことである。本シリーズに収録されている曲は,関東編を除き,第二次大戦後に収録されたものが多いことを考え合わせれば,「大津絵節」がきわめて強い伝播力をもっていたことが推定できるのであり,しかもそれが長期間にわたって各地住民で記憶・愛唱されていたことは,私たちに,その触発力が大きかったことを確信させるに足るものである。 (2)「大津絵節」の伝播力の強さの秘密は,そのメロディーの魅力にあったと考えられる。そのため,これが流行を始めた当初のメロディーを復元することが必要であるが,これについて,日本で最初に出版された五線譜本(1888年)に2種類のメロディーが記録されていることが東京藝術大学中央図書館蔵書の調査で明らかになった。さらに,長崎県立長崎図書館郷土資料室の調査の中で松隣長原編『弄月餘音』(明治10年代の出版と推定される)の頁裏に手書きの大津絵節が記録されていることを発見した。これは,工尺譜で記譜され,他では見られない歌詞がつけられており,同曲の伝播・変容の姿を示す有力な資料と判断される。1910年代に発行された五線譜の大津絵節類と比較しながら,来年度さらに検討を進める予定である。 (3)「大津絵節」の歌詞については,藤澤衛彦『日本民謡史』・グローマー『幕末のはやり唄』などに依拠して多くの種類を収集したが,さらに『藤岡屋日記』などの記録からも採取することができた。
|