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2002 年度 実績報告書

幕末・明治期における民謡「大津絵節」の歴史的研究

研究課題

研究課題/領域番号 13610396
研究機関日本大学

研究代表者

佐々木 隆爾  日本大学, 文理学部, 教授 (10086944)

研究分担者 鍋本 由徳  日本大学, 文理学部, 助手 (30318331)
キーワード大津絵節 / アメリカ大津絵節 / 民権大津絵節
研究概要

(1)幕末から明治期にかけて流行した大津絵節の曲調は,歌舞伎『忠臣蔵』の劇中歌「オウイおやじ殿」が19世紀初頭に流行したものが基本となり,明治末年まで歌い継がれたことは,箸尾竹軒著『月琴・清笛・胡琴 日本俗曲集』(1912年大阪刊,工尺譜)で明瞭である。他方,本研究を通じて解明できたことは,一勇斎国芳の大津絵『浮世又平名画奇特』(1853年)とともに流行した「雨の夜」が,前者とは別の曲調を持ち,幕末の横浜で人気を得た芸人アメリカお清に歌われて「アメリカ大津絵節」の潮流をつくったことである。この「雨の夜」が演歌の曲調として好まれるようになり,自由民権期には福田楳子が歌い福田英子が月琴で伴奏する「民権大津絵節」に継承された。
(2)大津絵を収録した工尺譜曲集は明治期を通じて出版され続けるが,その記載から判断すれば,「オウイおやじ殿」型の曲調の方が替え歌も多く,愛好度が高かったと思われる。この曲調の示す日本民衆の音楽的感性は,哀愁を帯びた曲調を嗜好すること,および長い語りを好むことなどの特徴を持っていたと要約できる。
(3)「雨の夜」型は,いわゆる演歌師には継承されなかった。しかし,その中の印象的な音列が浪曲師によって援用され,浪曲の表現力を強める役割を果たしたと考えられる。
(4)幕末の長崎で大津絵節・踊りも含めた歌と踊りが,清国人・オランダ人にどのように受容されたか,相互交流をともなうものであったかについても重要な知見を得た。

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公開日: 2004-04-07   更新日: 2016-04-21  

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