4年次計画の最終年度にあたるので、これまでに収集した豊臣秀吉の発給文書のうち、永禄8年(1565)から天正10年(1582)までの釈文を作成し、「稿本」として印刷した。文書の配列は発給年次順とし、年次が不明のものは月日順とした。また、必要最小限の注記を施し、可能なかぎり原文書の写真版などにあたって校訂したほか、検索を容易にするため、活字化された出典名も併記した。これは、奥野高広氏の『織田信長文書の研究』、中村孝也氏の『徳川家康文書の研究』に匹敵するような『豊臣秀吉文書』を学界に提供するための準備作業である。天正11年以降の発給文書や豊臣一族(秀次・北政所など9人)の発給文書についても、引き続き作業をすすめており、近い将来、本格的な文書集を刊行する予定である。 無年号文書の年代比定については、関連史料ごとに時系列で分類した結果、これまで誤った年次に収められていた文書を正すとによって、本来の意義を明らかにしえた。年次推定が殆ど不可能な「御内書」様式の儀礼関係文書についても、朱印の押捺位置の微妙な違いから、一定の傾向が判別できることが確認できた。また、本来は同一条件下で作成された文書でありながら、異なった場所に収録されていたため関連性が知られていなかったものを同定するなど、個別的観察では知り得ない事実を発見することができた。 この時期は、中世文書と近世文書が交錯し、史料学的にも興味深い事実が多く確認できるが、体系的な研究は現れていない。この点については、すでに幾つかの論文で指摘しているが、近く総括的な研究成果を発表する予定である。
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