研究課題/領域番号 |
13610414
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 一般 |
研究分野 |
日本史
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研究機関 | (財)元興寺文化財研究所 |
研究代表者 |
五代 雄資 (財)元興寺文化財研究所, その他の部局, 研究員 (10195927)
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研究分担者 |
雨森 久晃 (財)元興寺文化財研究所, その他の部局, 研究員 (70250347)
村田 忠繁 (財)元興寺文化財研究所, その他の部局, 研究員 (50210042)
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研究期間 (年度) |
2001 – 2003
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キーワード | 市場 / 職人 / 職工 / 公共政策 / 公設市場 |
研究概要 |
明治5年頃より、職人の社会的地位が、国内の各地において、待遇に大きな格差が生じていた。 特に、職人は明治時代初期の短期間に於いて、職人に対する呼称及び、身分的地位が変化した。そのため、職分化が複雑化し、近代産業へと転換できた職人層は、職工へと変わることにより近代工業の担い手として珍重された。その反面で、伝統的な生活用具の制作者である職人は、経済制度の変化や、自由化によってこれまでの流通経路が崩壊し自立を求められた。 しかしながら、政府による施策は一部の人達だけのものでしかなく、抜本的改善は生活者に任された。 政府による近代化政策は、工業製品の優位性を確保することとなり、次第に工業製品が浸透することとなった。 そのため、職人達が、生活の糧を失うこととなった。こうした一方で、自由な商売が職人の生活環境を変えてしまった。職人は、これまでのような、問屋に品物を卸す仕事ではなく、店を構えて品物を売らなければならなくなった。その上、職人の家族全員が、職人の仕事を手伝うという必要性があった。そのため、職人の住宅が、製作と販売を行うこととなり、家族単位の一体化と協力が必要となった。こうした職人の生活環境は、市場の中に取り込まれることとなり、東京、大阪といった都心部では明治40年以降日用品市場が形成されてきている。 こうしたことの背景には、職人達が培ってきた、前近代的な商習慣(掛売り・同業者組合等)の廃絶が伴っており、自由な賃労働の形成に大きく寄与していると考えられる。 職人は、単に伝統産業保持者などという狭い思考にとらわれがちだが、職人こそ日用品市場の中で、生産小売としての役割を明確にしてきたと考えられる。 特に、このような職人を中心とした生産小売としての過程は、お米を要求する暴動後の公設市場の設置運動においても、重要な役割を果たしていったと考えられる。 そのため、この研究では最も資料が豊富に残されている新聞史料を中心として、職人及び市場について検討を行った。
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