三年間の研究を通じて、清代中国における経営の具体像に迫るまとまった資料である巴県档案について、刊行資料・マイクロフィルム併せて約60万字分の文書を電子化した。電子化された文書資料を档案特有の語彙の検索システムとして、また個別の人物・経営名称の検索システムとして用いることにより、巴県に関わる地図より作成した地名検索システムによる地域確定を行いつつ、主要には訴訟文書である同資料を読み進み、そこに現れる経営現象を、個別事例に即しならが分析した。 一連の分析を通じ、清末段階の巴県の経営について、以下のような事実が明らかとなった。 (1)行政システム末端とほぼ同様な形で、同業者集団のうちの多くは、緩やかに県衙門に捉えられているが、その組織の強制力は弱く、行政負担と引き換えに県の介入を待たねばならなかった。 (2)商業・運輸業・各種製造業を通じて、同時期の日本などと比べて資本の有機的構成や、経営の持続性が著しく低く、こうした冒険的な性格の強い経営において、出資者相互も、経営者と労働者の間(合股)も、さらには徒弟と主人の間でさえ、契約的に作られた一過性的関係で結ばれていた。 (3)清末における上位の流通結節点であるがゆえに、経営はかなりの規模に達するが、それは労働部門ごとに存在する半ば独立的な性格をもった集団が、しばしば対立混乱を引き起こしつつも緩やかに統合されて成り立っている。 (4)経営の各種要素は、容易に分割され・譲渡されて、経営の構成を一層複雑とした。
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