私は社会主義体制を、「帝国主義」の侵略に備えた後進国の総力戦の態勢であると捉えている。それを構成する基本的要素は、次の3つである。(1)政治における1党による独占的な権力掌握と指導・支配、(2)経済における生産手段の公的所有・経営と市場を排除した行政的指令による経済(いわゆる「計画経済」。実質的には究極の統制経済)、(3)社会における個や私を否定する一元的非自律的統合。中国において、抗日戦争以後に(1)(2)が形成されていく過程は比較的理解しやすいが、(3)は難しい問題であり、研究もほとんどないに等しい。これは中国の伝統社会が社会主義に連なる「共同体」的な色彩が濃いものであったという、誤った認識があったことも関係している。事実は全く逆で、伝統社会は組織性の低い個別主義的傾向が強い社会であり、社会主義体制の下での個々人が私を否定されるほど緊密に組織された状況とは、決定的な断絶がある。 この2年間は、徴兵の問題を手がかりに、伝統的な組織性の低い社会が、抗日戦争から内戦期を経て変容していく過程を調べた。中国第二歴史档案館(南京)や四川省档案館の档案によれば、国民政府は日本に抵抗するため多くの青年を徴兵せざるをえなかったが、それは矛盾に満ちた非常に困難なものであったことがわかる。赤紙一枚で簡単に召集できた日本とは根本的に異なり、もともと組織性が低いうえに、ナショナリズムを喚起することもむつかしく、多くの青年が逃亡するため、拉致などの強引な手段も用いざるをえなかった。また生産力が低いもとで、基幹労働力を兵士として徴発することは、食糧調達のための重税とあいまって、基層社会に苛酷な負担を強いるとともに、地域間や階層間など、社会内部に深刻な利害対立を生み出した。共産党が「階級闘争」論に基づく土地改革運動に組織しやすい情況が、抗日戦争の過程で作り出されていったのである。
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