これまでに、フィリピンのイスラーム運動に関する資料所在状況の調査、データ収集・整理を行った。補助金支給開始以前の8月から9月にかけて米国国立公文書館、米国陸軍軍事史研究所図書館で収集した、フィリピン・ムスリムの米国統治継続請願10数点の分析を行った。これらの中には、現地語ジャウィ表記の資料もあり、それらについては、翻字、翻訳を行った。その結果、明らかになったことは、以下の4点である。 1.請願をもっとも早く開始したのは、サンボアンガ在住米国人実業家と密接な関係を持つ、タウスグ人のムスリム有力者であった。 2.その後、この運動に、スールーやコタバト地方の貴族や他のムスリム有力者が加わっていった。 3.ラナオ地方のマラナオ人の場合には、これより遅れて、1920年代後半から1930年代に入って、宗教指導者によって請願が行われた。 4.マラナオの宗教指導者の請願の例として、ハジ・ボガボンが執筆した4点の現地語請願を検討した結果、「バンサ・イスラーム(イスラーム民族)」「我々のくに、ミンダナオ・スログ」という表現が頻繁に用いられていることがわかった。ここに、ミンダナオ・スールー地方を領域とし、イスラームを支配原理とする民族国家の観念の萌芽をみることができるのではないだろうか。今後、他の資料も用いて、この点を検討していきたい。 3月にはマニラ首都圏、および、ミンダナオ島マラウィ市などで資料収集を行った。
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