本研究の目的は、オスマン帝国末期のスルタン、アブドゥルハミド2世の近代化政策について考察するものである。この問題についてはさまざまな評価がなされており、一部ではイスラム主義の保守派、また近代化に力を注いだ名君とされるなど、今日トルコ共和国でも論争が続いている。 今年度は、トルコ共和国アンカラ大学、文学部史学科メレキ=デリバシュ教授(前学部長)が、大阪に来られたのを、東京まで来ていただいて、ギリシア北方のヤンヤ地方の近代化について研究会開催した。 また、トルコ共和国およびギリシアにおける現地調査の計画を立てたが、代表者が健康上の障害により実行できなかった。このため、国内において、オスマン帝国から日本に派遣された軍艦エルツルル号遭難について現地調査をおこなった。1890年横浜に入港し、オスマン=パシャが東京で明治天皇に親書を渡したのち、帰国の途中紀伊半島の先端に当たる串本沖の大島で台風のために遭難した同号はアブドゥルハミド2世によって日本へのイスラム教の伝道を考えるイスラム主義と、西欧化を推進する明治政府の近代化政権との友好関係樹立という2つの目的を持って日本に派遣された。これを後世にトルコ日本双方がどのように理解して、記念館や記念碑を建設したかも双方の近代化に対する問題の提起であろう。 一昨年にイスタンブルの総理府公文書館オスマン語史料部所蔵のアブドゥルハミド2世の居所であったユルドズ宮殿の文書、アンカラの革命研究所で収集複写したオスマン語史料の整理、調査を継続し、ラテン文字化して入力作業を行った。 またアブドゥルハミド2世の伝記的考察を開始し、幼少期の生活や即位に当たり、憲法制定に関する考え方などを調査研究した。
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