本研究の目的は、オスマン帝国末期のスルタン、アブドゥルハミド2世(在位1876〜1909)の近代化政策を明らかにするものである。アブドゥルハミド2世の現在の評価は様々であり、イスラム主義者とされる一方で近代化推進論者としての評価もある。アブドゥルハミド2世が西欧諸列強のオスマン帝国に対する植民地化、分割侵略政策に対抗して、諸外国のオスマン帝国に対する攻勢を天秤に懸けて、バランスを取りながら対応したことも高く評価されている。このようなアブドゥルハミド2世の諸政策について考察し、これによって、オスマン帝国の「近代」について、さらにトルコ共和国の「近代化」の問題について明らかにすることを目的としている。 本年度の研究活動 2003年度は、トルコ共和国のイスタンブルおよびギリシアにおける史料調査を続行した。イスタンブルでは総理府公文書館オスマン語史料部を中心に、アブドゥルハミド2世の、国内問題に対する史料および、大宰相府の文書を調査し、必要な部分について複写し、解読分析を行った。 また、オスマン帝国の旧領土であったギリシアのクレタ島において、研究調査を行った。クレタ島は、1897年のオスマン=ギリシア戦争でオスマン側が有利に展開したにもかかわらず、結果としてクレタ島を失った。アブドゥルハミド2世外交の、失敗例として挙げられる事態である。実地調査の印象とすればクレタ島がギリシア領とのみ考えることなく、ヴェネチアの支配時代も考慮しなければならないことが、考えられる。来年が最終年度であるため、報告書の作成の若干の準備を始めた。
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