オスマン朝の近代化について研究を行った。近代というきわめて西欧的な事象を、オスマン帝国において導入するオスマン支配者層の動向を、17世紀末から考察した。その結果、19世紀末から20世紀初頭にかけて在位したオスマン朝スルタン、アブドゥルハミド2世の治世期が、西欧の侵略に対抗して近代化が推進されるとともに、イスラム的な体制によって西欧に対抗すべきであるという思想の台頭が見られた。オスマン近代化についての考察は、オスマン朝34代目スルタン、37年にわたり在位したアブドゥルハミド2世の政策を中心に行うことが最も適当であると考えた。西欧諸国では、オスマン帝国の近代化にイスラムという要素が入ることにより、近代化の方向性を認めず、侵略を推進していた。しかし、アブドゥルハミド2世は、イスラム主義者と西欧で認識されながらも、近代化政策推進者であったと結論付けることができた。西欧諸列強が、今日でも主張するイスラムを敵対的存在との考え方から、イスラムのレッテルを貼ることにより、植民地化政策を容易にしていたのである。ここにアブドゥルハミド2世の思想的背景としての経歴を明らかにした。アブドゥルハミド2世が即位した経緯、すなわちアブドゥルアジズをクーデタによって廃位させ、さらにムラト5世が廃位に追い込まれる過程や、アブドゥルハミド2世の側近政治家たちの動向、そしてアブドゥルハミド2世の政治拠点であるユルドゥズ宮殿などを調査した。さらに彼の近代化政策の典型である『ヒジャズ鉄道』別名巡礼鉄道建設を考察することにより、アブドゥルハミド2世がイスラム主義推進者であるとの西欧的見解を否定して、近代化路線の上に、ヒジャズ鉄道が建設されたことを明らかにした。
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