一般に中国社会では伝統的に、女性は無学であることが望ましいとされてきた。これに対し1910年代以降、中国の知識人の中にはこの「伝統」と相反する家庭を築こうとした者が少なくない。すなわち孫文と宋慶齢、周恩来ととう頴超などのよう男女双方が共に高い教養を身につけ、知的営みを共有できる夫婦の例が現れた。こうした現象は、同時代の日本の明治から昭和にかけて良妻賢母思想が浸透した事と比較して、顕著な特色を示すものである。 民国時期の中国知識人の中で、何故このような夫婦関係が現れたのか、この問題を考えるために、今年度の研究では近代中国を代表する啓蒙思想家梁啓超の長男で建築家の梁思成と、1928年に思成と共に東北大学建築学科の教授に任じられ、また文学の世界でも独自の地位を築いた林徽因夫妻の例を取り上げて考察した。梁思成と林徽因は米国に留学中から結婚して家庭を築いた後も、建築学、美術、そして文学の分野においても絶えず切瑳琢磨して研鑚を積んだ。また梁思成の父梁啓超も、息子の嫁となった林徽因が知識人に相応しい教養を深めることを積極的に支持した。こうした環境の中で思成と徽因は、最高の知性を備えた者同士の間だけに通じる知的好奇心を共有する夫婦となっていった。 中国史の中で知識人の立場と生活ということは、絶えず考察がなされてきたテーマであるが、知識人の夫婦間の関係を読み解くことは、彼らの心性を理解する一つの手がかりとなるのではないかと考える。
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