古代ローマにおけるトリブスの社会的機能として最も基本的なものは、ローマ市民の登録による<ローマ市民団>の編成であったが、このローマ市民の登録という機能とのかかわりで、都市トリブスのあり方が、重要な問題を提起してくる。というのも都市トリブスは、もっぱらローマ市民団の周縁に位置した人々を登録し、「社会的には劣格」で「政治的には不利」なトリブスであったと一般的には考えられているからである。このような都市トリブス像を再考すべく、平成13年度は、監察官による譴責「トリブスから移す」の実態を再検討したが、その成果を受けて平成14年度は、実際に都市トリブスへと登録され都市トリブスの劣格性をもたらしたと考えられている、解放奴隷、役者、そして非嫡出子の都市トリブス登録に関して、関連史料を駆使しながら具体的に検討した。その結果、解放奴隷、役者、非嫡出子のうち、文献史料あるいは法史料をもとに原則的に都市トリブスへ登録されたことが確認できるのは解放奴隷のみであること、またその解放奴隷にしても碑文史料からすれば、少なくとも帝政期においては都市トリブス登録の原則がかなり崩れていた可能性があること、さらには都市トリブスのうちスブラナ区とエスクィリナ区とは確かに劣位・劣格であった可能性は残るものの、しかしそれも解放奴隷や役者や非嫡出子の登録とは必ずしも対応関係を持たないことを指摘した。つまり、古代ローマ社会において、上記の人々に対するなんらかの社会的差別が生じていたのは確かであるが、トリブスという単位はそのような差異化・差別化と直結しておらず、従来考えられてきた以上に「ニュートラルな単位」であったと結論づけることができよう。
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