研究課題
基盤研究(C)
19世紀後半から20世紀転換期にかけての日本と合衆国における太平洋像には顕著な違いが認められる。合衆国においては太平洋を科学的な知の体系のもとに把握しようとする欲求が早くから存在した。19世紀半ばから本格化した海軍将校マシュー・モーリーを中心とする海洋学の推進はその代表例である。19世紀末の海軍戦略家、アルフレッド・マハンがハワイの地政学的位置を論ずる視点にも同様の科学性が顕著であった。しかその一方で、太平洋の諸文明との出会いにアメリカ現代文明へのアンチテーゼを読み取る者や、異文化混交のアメリカの未来像を見出す者も少なくなかった。フィリピンやハワイを領土として後、20世紀転換期に西海岸諸都市で開かれた太平洋博覧会の展示にその姿勢を見ることができる。19世紀の半ばから漸く太平洋への知的関心を高めた日本は、ペリー来航後にこの東の大洋への急速な進出を図るようになった。そして「西洋」とは別の新たな地域概念として「南洋」を創出し、そこに自国の命運をかけるようになった。しかし福沢諭吉にせよ志賀重昴にせよ、日本の「南洋」進出を唱えた者がその地の具体像を把握することは稀であった。その地に居住する人々やそこに展開する文化への十分な理解なしに、その地の盟主となることのみを日本は求めていくようになったのである。そうした日本の太平洋進出の歪みは、竹腰与三郎『南国記』(1910)などに奇妙な地域構想となって結実している。以上のような日米における太平洋像の比較分析は、同じ地理空間で実地の体験を同時並行的に積もうとも、異なる国、文化、集団の体験は、各々に固有の認識の枠組みの中でまったく異なる地域構想に発展していく可能性を示している。その経緯を比較検討することから、「太平洋世界」を共有しようとする米国と他の太平洋諸国との地域理解の溝を自覚し埋める必要がある。
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Journal of Historical Geography vol.30(印刷中)
Journal of Historical Geography vol.30(in print)
太平洋世界の中のアメリカ(彩流社) (印刷中)
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Das Meer als Kulturelle Kontaktzone (UVK)
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アメリカ太平洋研究 4
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グローバル化時代におけるアメリカニゼーションとナショナリズムの国際的比較研究(北大印刷)
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